スノーボード旅行で関越が通行止めになった過去の経験談。

移動・交通手段

こんにちは田中です。9月になりました!すずしい日々が続きます。本日、田中は盛岡に出張に来ておりまして移動中にこのブログを書いております!

本日は車に関するエントリです。長くスノーボードライフを送っているとトラブルにも多く見舞われます。そんなトラブルの中でもけっこうキツいのが関越自動車道の通行止め。これはけっこうキツイんですよねぇ。今まで田中がおみまいされた関越道の通行止めの悲惨な経験談をご紹介いたします。

仙台のイルミ

事案1 高速バスが大事故。復旧まで関越が止まる

数年前のお正月休み。会社の先輩と正月にかぐらスキー場へ行った時のこと。その日の夕方に渋川周辺で高速バスが中央分離帯にバスが激突する大事故が起こりました。この事故は結構大きなニュースになったような気がします。そんな大きな事故の事故調査と復旧のため関越上りの渋川伊香保近辺は長時間不通状態になりました。

残された帰宅手段は赤城から下道の17号を使い不通部分を回避するというもの。我々も国道17号を使用して通行止め部分を迂回。しかし、お正月で通行量増という事もあり17号はパニックともいえる大渋滞。峠道を越える道はほとんど動かず1時間に1km程度しか進まない大パニック状態。結局、帰宅するまでに8時間ぐらいかかりましたが、なんとか帰ってくることができました。

17号の道中のコンビニもすべて満車状態でトイレは店外まで続く大行列。まさしく地獄絵図。夜勤のバイト君が一人で死にそうな顔してレジをさばいています。新年早々尿意と眠さと格闘するという凄惨なお正月を経験いたしました。事故の箇所が渋川が通行止めでしたので、逆に長野方面から帰ってくる車はスイスイで帰宅できたようです。行先ひとつで天国と地獄が別れた日でした。運転ありがとうございました、先輩。

事案2 大寒波で湯沢が大荒れ。関越トンネルが止まる。

こちらは2012年のお話。若き日の田中は合コンでスノーボード好きの女の子と意気投合し、前日夜入りでノリノリでかぐらスキー場へ日帰りトリップ。前日から雪は降っていたが女の子と二人で若干興奮気味の田中。天気なんか気にもせず、どうやって女の子の前でカッコつけようか考えることに夢中でございました。

ところが、車中泊をして起床した我々が起きて見たのは大量の雪の白銀の世界。というより白の世界。ホワイトアウト。ドアを開けてビックリ。駐車場には我々の車だけでございました。雪が降り過ぎてかぐらスキー場田代エリアは営業中止となったようです。後で知りましたがその日は今世紀最大と言われている寒波が北日本を襲い、湯沢にも大量の雪を降らせたのです。

我々のいた田代ゴンドラステーションはすでに閉鎖されており、結局付近の湯沢のスキー場もほぼ全滅状態。自衛隊が出動する騒ぎとなっておりました。その日の滑走はあきらめて帰路につくことにしたのですが、なんだか道路の状況が怪しい模様。交通情報を調べてみたらなんと関越トンネルは閉鎖され三国峠も通行止めになってしまったのです。陸の孤島状態。復旧を待つために湯沢健康ランドで5時間ほど仮眠をとって雪が和らいだ夕方に再帰宅をトライ。それでも関越トンネルは開かず、湯沢はパニック状態がつづいていました。

三国海道では車であふれかえり、石打~湯沢間は車が動かなくなる状況。夜9時になんとか関越トンネル開通し帰宅。女の子を家まで送り届けたのは12時となりました。ゲレンデで滑れなかったのに、車中ではトークだけが滑る状態。その女の子とは音信不通でいまだに開通の目途はたっておりません。

事案3 首都圏で大雪が降り都内高速全面ストップ。

 これも2012年のお話です。その週は首都圏で日中からドカドカと大雪が降り、都内の交通事情が大パニックになっておりました。その時は湯沢の舞子で滑っていた田中一行はスキー場でその状況を知ります。東京が大雪状態で道路が動かないと、スキー場内でもアナウンスが入っていたので状況は知っていたのですが、その時の湯沢は雪がチラチラ舞っている程度でしたので東京の状況などなんとも想像ができませんでした。どうせ、都会もんが積雪5cm程度で大騒ぎしているんだなんてジョークを飛ばす始末。

滑ってればそのうちどうにかなるだろうと、意気揚々と滑走。満足に滑り終わって温泉に入り、帰路につきました。数時間後には除雪されて我々が通るころには規制も解除されるだろうと楽観視していました。車を進めて東京に向かうも、いつまでも雪景色。なんだかへんだぞと思い交通情報を聞いてみると首都圏の事態は想像以上に重く、高崎から首都圏までのすべての高速道路が閉鎖されているということが判明。

関越・外環はおろか首都高も止まっていたのです。翌日が仕事のために何としても帰らねばということで下道での帰宅を決意。群馬県太田まで何とか高速で進み、そこからえんえんと渋滞の下道を進みました。この日も大渋滞。群馬県太田→埼玉県大宮→埼玉県戸田と進み何とか都内に入ってもマヒ状態。雪が融けて凍ったツルンツルンの下道をそろーりと徐行しながら通行して都内に進むことになったのです。都内に入ってからはさらに状況が悪化。ノーマルタイヤで立ち往生している車が多く、ほとんど進みません。それでもコツコツ前進しヘトヘトになりながら13時間かけて帰宅。こんなに長時間運転してよくも事故らなかったなと我ながら感心しました。

その後都内では2日間大雪が降りつづきました。翌日仕事で車を使ったのですが、職場の近くのコインパーキングに止めておいたマイカーが出せなくなって3日間駐車し続け駐車料金で¥15,000となったえらいことになったのが一番の痛手でしたね。とんでもない経験となりました。

事案4 長野に向かう途中で大雪大混乱。

これは2013年のお話。トップシーズンに1泊2日でヤマボクに向かおうと4人で東京を出発。早朝に集合して関越に乗ったあたりからみるみる天候が崩れ始めたのでした。普段は雪がない下仁田あたりでも雪が積もっています。目的地に進むにつれて横川SAのあたりでは大雪になり、その先の碓氷軽井沢IC以降の道は大雪のために通行止めとなってしまいました。

しょうがなく引き返すかと思ったものの、交通情報を調べてみたら引き返す先の関越道下り線の下仁田~練馬も通行止めという事態。帰り道も閉ざされてしまったわけです。帰れないならば進むしかないという事で軽井沢から高速を降り碓氷峠から下道で目的地を目指すこととなりました。軽井沢から上田を経由して長野市に入り、目的地の高山村に到着。到着したのは夜の7時。早朝に出発し13時間以上もかけて目的地についた田中一行でした。大雪での大渋滞の中ひたすら長野県の下道を進んだ我々。おかげでこの辺りの地理はかなり頭に入りました。ヘトヘトで何とか宿につき、明日は無事に帰れるのかと不安を抱きながら睡眠をとった我々。

ところが、翌朝になるとビッグサプライズ。翌日は嘘のような晴天になったのです。ありえないぐらいの大量のパウダースノー。そこ付きのないチクパウ。なおかつ台風一過のような晴天。しかも大雪で関越が止まったために首都圏からくる旅行者がいない状況でしたので、ゲレンデはガラガラで貸切状態。前日の大寒波のおかげでサラサラの大量パウダーを夕方まで思う存分に独占で楽しんだ田中一行でした。晴天の中ありえない量のパウダーをエンジョイして一日を過ごしたのでした。夕方まで心行くまでパウダー三昧を楽しんで帰路につきました。

当然ですが、この日は週末ながら首都圏から雪国に向かった車はかなり少なく、渋滞はゼロ。むしろ、走行している車もほとんどいなくマリオカートのタイムトライアル状態。長野県って渋滞がないとこんなに近いんだという事を実感しました。ノンストレスで帰宅をしました。まさかのハッピーエンド。思い返せばこんな幸せな旅はなかったです。

というわけで、関越が止まったお話でした。

まぁ、冬期はほぼ毎週のようにスノーボードに出かけているとこんなことも経験します。事案4はまさかのハッピーエンドとなったわけですが、関越道が止まると大変な状況になるんです。これからも起こるであろうし何度も経験するであろう関越通行止め状態。
次回のエントリは関越が止まったらどうするのがベストなのかという考えるというエントリを立ててみたいと思います。雪バカ日誌では珍しい2話連続企画。それでは皆様、次回もよろしくお願いいたします。田中でございました。

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更新履歴:

2015/9/8 文章を少し修正し関連リンクを付けました。

No,126

雪バカ田中

雪バカ田中

何者でもないフツーのサラリーマンです。2010年頃よりスノーボードにドハマりしてから、冬期は毎週雪山に通う週末を過ごしています。 1982年、東京生まれ。好きな食べ物は担々麺。

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雪バカ田中

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何者にもなれなかったスノーボード大好きサラリーマンです。数年前よりスノーボードにドハマりしてから、冬期は毎週雪山に通う週末を過ごしています。 1982年生まれ東京在住。

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